2019年1月11日金曜日

ヨハネス・ブラームス 交響曲第1番ハ短調

 重厚な和音の束、綿密に計算された無駄のない音符の配置、19世紀ドイツに生きた偉大な作曲家ヨハネス・ブラームス(183357-189743日)が21年もの年月をかけて作曲した交響曲第1番ハ短調は完成から140年経った今なお、聴くものを、そして演奏するものを魅了し続けています。

ブラームスが生まれたのは1833年ですが、ブラームスが崇拝し、自身が後継者であると強く意識していたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはその6年前である1827年に他界しています。ベートーヴェンは言うまでもなく偉大な音楽家であり、音楽史に残る複数の交響曲を生み出しました。最後の交響曲である交響曲第9番ニ短調は1824年に初演され、その死後もベートーヴェン信者であるワーグナーの手により1846年に復活演奏が行われています。ワーグナーはこの交響曲の最終楽章でベートーヴェンが声楽を利用したことを根拠としてオペラ時代の到来を叫び、交響楽と歌劇を融合させた楽劇を創出し始めます。(ローエングリン:初演1850年、トリスタンとイゾルデ:初演1865etc.)リストもまた『総合芸術』を訴え、交響詩を生み出し、また属性感のない音楽に挑戦します。一方で、観客たちはベートーヴェンの流れを汲む作品を求めていました。ベートーヴェン後に交響曲を生むべき作曲家たちは若くして鬼籍に入ってしまい、―メンデルスゾーン(18091847)、シューマン(18101856)―、シューマンの交響曲第3番『ライン』:初演1851年以降四半世紀に渡り、交響曲は停滞してしまいます。

 ブラームスは1855年、22歳の時にシューマンのマンフレッド序曲を聴き、交響曲の作曲を思い立ちます。しかし、ベートーヴェン信者であるブラームスは、ベートーヴェンの交響曲を超えるものでなくてはならないと考え、何度も推敲を重ねます。そして遂に、1876年、ブラームス43歳のときに交響曲第1番が完成し、初演を迎えます。初演当初からこの曲はベートーヴェンの交響曲の系譜を正統的に受け継いだ名作であると評価され、『ベートーヴェンの交響曲第10番』であると評されました。この曲は既述した『総合芸術』を目指す作曲家たちと比較し、古典回帰を目指した新古典主義の作品であると以前は解釈されていました。しかし、現在ではその和声やオーケストレーション、曲構成などからワーグナーたちと同様にロマン派の特徴を持った曲であるとされています。ブラームスもまた、当時の最新の手法を用いてベートーヴェンを越えようとし、新たな交響曲を音楽史に残したのです。そして、ブルックナー、マーラーを含めた新たな交響曲の時代が始まります。

 この交響曲第1番は綿密な構成について、またベートーヴェンの交響曲第5番、第9番との類似性について、といった様々な観点で多くの解説がなされています。が、そういった解説は他のサイトにおまかせすることにします。この曲の奥深さは、耳だけで十二分に体感いただけると思います。そしてまた、この曲は何度演奏しても新たな気付きがあり、飽きることがありません。(勉強不足疑惑もあり。)

最後にいつもと趣向を変え、コントラファゴット(ファゴットの大きいやつ)奏者視点で簡単に各楽章を紹介しておきます。

第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro
ティンバニ、コントラバス、コントラファゴットによる強いC音(ド)の連打と半音階的な旋律の序奏で始まるソナタ形式の楽章。主部のAllegroは、まあ繰り返しますよね。コントラファゴットは楽章を通じてそれなりに吹いています。最後はハ長調の和音で静かに終わります。
2楽章 Andante sostenuto
ホ長調で書かれているのに、少し寂しい雰囲気の緩徐楽章。コントラファゴットは前半のオーボエソロの和音構築で2小節、後半のヴァイオリンソロの和音構築で4小節。後は最後の伸ばしだけです。この楽章も静かに終わります。
第3楽章 Un poco allegretto e grazioso
Tacet(楽章休み)
第4楽章 Adagio - Piu andante - Allegro non troppo, ma con brio - Piu allegro
暗から明へ、展開部のないソナタ形式の楽章。序奏はハ短調、主部はハ長調となります。コントラファゴットは冒頭から活躍します。主部はハ長調で吹きやすいし、メロディも歌曲風で楽しい楽章です。最後は華やかに終わります。

第1楽章(02:00)、第2楽章(15:10)、第3楽章(24:10)、第4楽章(28:50)



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2019年1月5日土曜日

ピョートル・チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 「悲愴(Pathetique)」

 誰もが知るバレエの名作や交響曲を始めとした多くの楽曲を生み出した19世紀の偉大なロシア人作曲家ピョートル・チャイコフスキー(184057-1893116日)。その最後の交響曲は他の作品と比較すると『悲愴』という副題もあり、暗く、物悲しいイメージが付き纏います。しかし、作曲者自身も副題を『悲劇的』と付けることは反対していますし、自身がスコアの表紙にロシア語で書き込んだ副題は『патетическая(パテティーチェスカヤ)』(日本語訳では「情熱的」「熱情」などの意味)となっています。楽譜出版社ユルゲンソンへの手紙ではフランス語の『Pathétique』(日本語訳では「悲愴」「悲壮」などの意味)を副題に用いているので、この『悲愴』という日本語の副題は誤りではないのですが、その中には『情熱』や『力強さ』が隠れているのです。

 1888年に交響曲第5番を初演したチャイコフスキーは、翌年から新たな交響曲に取り組みます。当時の手紙には「創作活動の完結になるような壮大な交響曲を作曲したい」、という強い意気込みが記されています。しかし189210月、オーケストレーションを開始したチャイコフスキーは途中で破棄してしまいます。その冬、ヨーロッパ演奏旅行の途中に突然新たな交響曲アイディアが浮かび、19833月には僅か3週間で全草稿を書き上げます。自身による初演後、「私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と周囲に語ったと言われる本作品、各楽章について簡単にご紹介します。

1楽章:アダージョの序奏付きのソナタ形式の楽章。作曲者本人曰く、『レクイエム的な暗さの序奏』はFgソロによる『溜息』、『嘆き』で始まります。この楽章ではロシア正教のレクイエムに相当するパニヒーダから旋律が引用されるなど、各所にレクイエムを意識した仕掛けがあります。憧憬を感じる旋律や、嵐のような旋律など、次々に音楽が移って行き、最後は静かに終わります。
2楽章:優雅なワルツのような曲ですが、5拍子の曲です。5拍子自体はロシア民謡でよく使われるリズムであり、作曲者もバレエ音楽で多く利用しています。しかし交響曲で利用するのは、当時異例なことでした。
3楽章:12/8拍子のスケルツォと4/4拍子の行進曲が結合した曲。この交響曲の中で最も華やかな楽章で、3連符系の動きと2拍子系の動きが交互に、もしくは同時に出てきます。同時にというのは、例えば木管の中でもFlCl12/8拍子、つまり3連符系の動きをしているときにObFg4/4拍子で動いている、と言った具合に異なるリズムで同時に演奏しているわけです。リズムの天才と呼ばれたチャイコフスキーの実力を伺うことができますね!この楽章は非常にダイナミックに、まるで曲が全て終わったかのように終わりますが、まだ3楽章です。演奏会に聴きに行く際は、ここで拍手をしないようにご注意ください!
4楽章:嘆きと慟哭に埋めつくされたフィナーレ。交響曲の最終楽章は通常華やかに終わりますが、この楽章は非常に静かに終わります。この楽章も様々な工夫があり、例えば冒頭のヴァイオリンによる旋律、これは1stVnが弾いているわけではなく、1stVn2ndVn1音ずつ交互に弾いています。このような楽譜であるため、Vnは広い音程を跳躍することになり、結果として『喘ぎ呻くような響き』が現れるのです。これ以外にも色々と工夫があるのですが、結果として生まれる『強い感情』、これが凄まじい楽章です。私はこの楽章を聴いて、音楽というのは凄いなと改めて感じています。あなたはどう感じましたか?

 この交響曲第6番の初演から5日後にチャイコフスキーは体調を崩し、その4日後の19831025日、急死します。享年53歳でした。父イリヤが84歳まで生きたことを考えても、チャイコフスキーの死はあまりに早く、そして突然でした。何かに導かれるような閃きにより作曲され、図らずも最後の作品となってしまった本作品。劇的なエピソードに目が行きがちではありますが、この作品自体が持っている大きな力、これを是非感じ取って頂ければと思います。

第1楽章(00:09)、第2楽章(17:42)、第3楽章(26:33)、第4楽章(34:56)

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2019年1月3日木曜日

ヴァシリー・カリンニコフ 交響曲第1番ト短調

ドラゴンクエストシリーズと言えば日本製RPG(ロールプレイングゲーム)を代表するゲームの1つですが、その音楽というとあなたは何を思い浮かべますか?多くの人は、まずはあの超有名なファンファーレで始まる序曲を思い浮かべるかと思います。しかし、ドラクエの音楽はそれだけではありませんよね?あの砂漠や荒野を征くフィールドの音楽、祠や洞窟に流れるダンジョンの音楽、そういったものもまたドラクエ音楽の魅力だと思います。様々な理由で魔王を倒すことになった勇者が、不安と期待を胸に旅をする。そんな普段の我々とは縁遠い世界の話なのに、音楽を聴くと不思議な懐かしさに見舞われます。この不思議な懐かしさが、今回ご紹介するヴァシリー・カリンニコフ(1866113-1901111日)の交響曲第1番でも感じて頂けるのではないかな、と思います。

カリンニコフは名前から察することが出来るようにロシアの作曲家で、現在のロシア連邦オリョール州オリョール(モスクワとキエフの間の都市)出身です。1866113日生まれですが、これはチャイコフスキーより26歳、ムソルグスキーより27歳、リムスキー=コルサコフより22歳年下で、ラフマニノフより7歳年上ということになります。カリンニコフの父親は貧しい警官でしたが、音楽好きでギターを弾いたり合唱団で歌ったりしていたようです。そのため、カリンニコフ自身も幼い頃から音楽に親しんでおり、14歳で地元の聖歌隊の指揮者を務めたという神童エピソードもあります。18歳でモスクワ音楽院に入学しますが、学費が払えずに数ヶ月で退学させられました。その後、奨学金を得てモスクワ楽友協会付属学校に入学、ファゴットを学ぶ傍ら、作曲をイリインスキーに師事します。当時はオーケストラでヴァイオリン、ファゴット、ティンパニーを演奏、また写譜をしながら生計を立てていました。学校卒業の1892年カリンニコフ26歳のとき、チャイコフスキーに才能を認められ、モスクワにあるマールイ劇場の指揮者に推薦されます。また同年、同じくモスクワにあるイタリア歌劇団の副指揮者にも就任します。順風満帆に思えましたが翌年1893年、推薦者のチャイコフスキーが急死、またカリンニコフ自身は以前からの過労の影響もあり、肺結核に罹患してしまいます。やむなく劇場での活動を断念し、気候の良いクリミア半島ヤルタで療養をしながら作曲活動に専念することになります。

 交響曲第1番は療養先のヤルタで1894年から1895年にかけて作曲されました。この作品は音楽評論家であり師であり、ずっとカリンニコフを援助してきたクルーグリコフに献呈されています。クルーグリコフは初演をお願いしようと草稿のスコアを様々な演奏団体に送りますが、ことごとく断られていまします。依頼された音楽家の一人であるリムスキー=コルサコフも、演奏不能と拒否しています。しかしこれは、金銭的に余裕がないために写譜屋に依頼できず、音楽の知識があまりないカリンニコフの妻が写譜を手伝ったためと言われています。その後、友人たちの奔走が実を結び1897年にキエフで初演を行い、大成功を博します。更に、友人のラフマニノフの助力でユルゲンソン社より譜面が出版されることになります。その後この曲はドイツやフランスでも演奏され、20世紀初頭には人気曲として多くの演奏会で取り上げられることになります。しかし、カリンニコフ自身は1901111日、病状が回復せずに療養先のヤルタで35歳を目前に他界します。自身は初演を含め交響曲の演奏を一度も聴くことなく、また出版された譜面を手にとることも出来ませんでした。(出版後、ユルゲンソン社主ピョートルは報酬を水増しして未亡人に支払ったそうです。)

 交響曲第1番完成間近の1895年春のクルーグリコフへの手紙には、闘病についてこんな記述があります。―「私は最後まで闘う。私の心の中の恐怖がなくなるまで、死ぬそのときまで。」―もう100年以上前、才能を認められながら志半ばで病に倒れ早世した異国の作曲家、そんな彼がその運命と闘う中で残したこの作品は、我々にとってはある意味異世界の音楽かもしれません。しかし、その中にある不思議な懐かしさを感じて頂けるのではないかと思います。

第1楽章 Allegro moderato ト短調 ソナタ形式
少しロシアの土臭さを感じるソナタ形式の楽章。冒頭、弦楽合奏による第1主題の提示で始まります。チェロによる第2主題もまた非常に美しい旋律です。
第2楽章 Andante comodamente 変ホ長調 三部形式
美しく幻想的な緩徐楽章。ハープと弦楽器の伴奏で木管と弦楽器がゆったりと主題を奏でます。
第3楽章 Allegro non troppo - Moderato assai ハ長調 複合三部形式
思わず踊りだしたくなるスケルツォ。オーボエの主題で始まるトリオ部分は少しドラクエのフィールドの音楽風でもあります。(個人の意見です。)
第4楽章 Allegro moderato ト長調  ロンド形式
どこか懐かしさを感じさせつつ、しかし力強いフィナーレ。冒頭は第1楽章の主題が再現され、その後、第4楽章の主題が提示されます。その後は第1楽章、第2楽章の旋律が繰り返し登場し、最後は力強く終わります。

第1楽章(0:00)、第2楽章(14:10)、第3楽章(21:28)、第4楽章(29:08)

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