重厚な和音の束、綿密に計算された無駄のない音符の配置、19世紀ドイツに生きた偉大な作曲家ヨハネス・ブラームス(1833年5月7日-1897年4月3日)が21年もの年月をかけて作曲した交響曲第1番ハ短調は完成から140年経った今なお、聴くものを、そして演奏するものを魅了し続けています。
ブラームスが生まれたのは1833年ですが、ブラームスが崇拝し、自身が後継者であると強く意識していたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはその6年前である1827年に他界しています。ベートーヴェンは言うまでもなく偉大な音楽家であり、音楽史に残る複数の交響曲を生み出しました。最後の交響曲である交響曲第9番ニ短調は1824年に初演され、その死後もベートーヴェン信者であるワーグナーの手により1846年に復活演奏が行われています。ワーグナーはこの交響曲の最終楽章でベートーヴェンが声楽を利用したことを根拠としてオペラ時代の到来を叫び、交響楽と歌劇を融合させた楽劇を創出し始めます。(ローエングリン:初演1850年、トリスタンとイゾルデ:初演1865年etc.)リストもまた『総合芸術』を訴え、交響詩を生み出し、また属性感のない音楽に挑戦します。一方で、観客たちはベートーヴェンの流れを汲む作品を求めていました。ベートーヴェン後に交響曲を生むべき作曲家たちは若くして鬼籍に入ってしまい、―メンデルスゾーン(1809-1847)、シューマン(1810-1856)―、シューマンの交響曲第3番『ライン』:初演1851年以降四半世紀に渡り、交響曲は停滞してしまいます。
ブラームスは1855年、22歳の時にシューマンのマンフレッド序曲を聴き、交響曲の作曲を思い立ちます。しかし、ベートーヴェン信者であるブラームスは、ベートーヴェンの交響曲を超えるものでなくてはならないと考え、何度も推敲を重ねます。そして遂に、1876年、ブラームス43歳のときに交響曲第1番が完成し、初演を迎えます。初演当初からこの曲はベートーヴェンの交響曲の系譜を正統的に受け継いだ名作であると評価され、『ベートーヴェンの交響曲第10番』であると評されました。この曲は既述した『総合芸術』を目指す作曲家たちと比較し、古典回帰を目指した新古典主義の作品であると以前は解釈されていました。しかし、現在ではその和声やオーケストレーション、曲構成などからワーグナーたちと同様にロマン派の特徴を持った曲であるとされています。ブラームスもまた、当時の最新の手法を用いてベートーヴェンを越えようとし、新たな交響曲を音楽史に残したのです。そして、ブルックナー、マーラーを含めた新たな交響曲の時代が始まります。
この交響曲第1番は綿密な構成について、またベートーヴェンの交響曲第5番、第9番との類似性について、といった様々な観点で多くの解説がなされています。が、そういった解説は他のサイトにおまかせすることにします。この曲の奥深さは、耳だけで十二分に体感いただけると思います。そしてまた、この曲は何度演奏しても新たな気付きがあり、飽きることがありません。(勉強不足疑惑もあり。)
最後にいつもと趣向を変え、コントラファゴット(ファゴットの大きいやつ)奏者視点で簡単に各楽章を紹介しておきます。
第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro
ティンバニ、コントラバス、コントラファゴットによる強いC音(ド)の連打と半音階的な旋律の序奏で始まるソナタ形式の楽章。主部のAllegroは、まあ繰り返しますよね。コントラファゴットは楽章を通じてそれなりに吹いています。最後はハ長調の和音で静かに終わります。
第2楽章 Andante sostenuto
ホ長調で書かれているのに、少し寂しい雰囲気の緩徐楽章。コントラファゴットは前半のオーボエソロの和音構築で2小節、後半のヴァイオリンソロの和音構築で4小節。後は最後の伸ばしだけです。この楽章も静かに終わります。
第3楽章 Un poco allegretto e grazioso
Tacet(楽章休み)
第4楽章 Adagio - Piu andante - Allegro non troppo, ma con brio - Piu allegro
暗から明へ、展開部のないソナタ形式の楽章。序奏はハ短調、主部はハ長調となります。コントラファゴットは冒頭から活躍します。主部はハ長調で吹きやすいし、メロディも歌曲風で楽しい楽章です。最後は華やかに終わります。
第1楽章(02:00)、第2楽章(15:10)、第3楽章(24:10)、第4楽章(28:50)
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